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「天意」
22日からの海外出張、アモイに着いて聞いた張さんの訃報から始まった今回の出張は本来の予定と同じ26日までのスケジュール通り無事帰宅しました。
ただ違っていたのはもう一つの「天意」にも触れてしまったことでした。

今年6月、十数年来弊社の海外生産の基点を共に築いてきた山根さんが食道癌に冒されたという連絡に遡ります。肺・肝臓そしてリンパにも転移しておりその時点で第4ステージ、つまり末期だったのです。
山根さんはご両親に明かす前に私に知らせてくれました。
決して悲観的ではなく常に前向きに病気に向き合い、癌が判った後の7月にも出張を共にしていただき、仕事上の支障がないようあらゆる手段を考え行動してくれるほどでした。
その後も10日の入院治療そして通院治療しながら仕事をし、月に5日間は香港へ出張する計画を自身で立てその実行のために日々前向きに・・・・・

そして8月3日本来は私は東京から、山根さんは大阪から香港に行き、向こうで落ち合う計画でしたが、2日前歩行がおぼつかないとの電話、その時点で病院に行くと背骨に転移した癌が脊椎を圧迫して下半身に支障を来していると言うことが判り、出張は私一人でこなすことになりました。
その後の放射線治療では、癌を叩く以外に脊椎にもダメージを与え半身不随が決定的になりましたが、現代では車椅子でも海外には行けるとそこでも前向きに仕事に向き合っていました。

そして9月、自宅も車椅子に対応できるよう引っ越しをし、各介護施設も整え26日に退院。
10月には共に出張に行くことを楽しみにしておられました。
しかし2日前の24日午前7時に47年の若さで永遠の眠りにつかれました。

彼と過ごさせてもらったこの十数年は、バブル崩壊後のデフレの時代の真っ直中で、まだまだ中国での生産も色んな問題も抱え、悪戦苦闘の十数年でした。工場のレベル向上と共に我々も育ち、そして近年では周りのメーカーまたは工場から情報を欲しがられるほどの技術と調達力を誇れるまでになり、これからお互いで夢を語れるようになっていただけに残念でなりません。
プライベートでも、互いに美食を追求し、良くお酒も飲み、朝まで歌い、毎月海外そして東京で楽しく過ごすのが恒例で、楽しみでもありました。

訃報を聞いたのはアモイの朝でした、工場での仕事を無事終わらせ香港に向かう朝でした。
うまくタイミングを計ったかのように・・・・
仕事は一人では何も出来ない、仲間が必要です。ここアモイ、そして香港にはそんな我々をサポートしてくれるブレーンが数多くいます。そんなみんなが集まっている時をも見計らっていたかのように・・・・・・・
仕事ではあまり関わりはありませんが、香港で行きつけのお店にも当日訃報を知らせることが出来、香港での仲間と共にその夜は、山根さんが好きだった歌を歌い香港でも弔いが出来ました。
ピロポのキャロル・マスターそしてマルジョウの二江さんみんな無念の涙を流しました。

昨日、私は香港からの第1便で成田へそして大阪へ、アモイ工場総経理の溥さん家族・工場長のヤンさんそして岡崎さんは香港経由・最終便で大阪へ、もう夜も10時を回っていましたが鍛冶社長を初めカジメイクの面々と共に全員が集合しお通夜は涙に暮れました。
そして今日、告別式にはまたまた多くの仲間が集まり、最後のお別れをしました。
お通夜ではお顔しか拝めませんでしたが、告別式での出棺前、お花を敷き詰めるため棺を開けるとそこには、彼と共に作成したブルゾンが・・・・・・最近一番のお気に入りと言うことで入れられていたそのブルゾンが、今までの苦労を走馬燈のように蘇らせ無念さが・・・・・・・・・

こんなに急で辛い別れではあるけど、山根さんの無念を心に刻んで明日からいつも通りの日々に戻ります。

山根和馬様、ありがとうございました。いつかまた・・・・・
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【2006/10/27 00:08】 | 日記 | コメント(0) | page top↑
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